Dolly Baker Story

since August 20, 2002

Hundred Years From Today

Dolly Bakerのお嬢さんマリアン再会
 
written by K. Wakayama
 
Hello, again, Dolly

Dolly Baker

ドリー・ベーカーほど日本を愛し、日本のジャズ・ミュージシャンを愛し、日本のジャズファンを愛したジャズ・ミュージシャンはいないだろう。

1922/2/7 ニューヨーク生まれである。

日本のジャズ通でドリーを知らぬ者はいない。しかし、ドリーは彼らが考えるより、とんでもなく偉大なジャズ歌手なのである。

ドリーの父はトランペッターで母はダンサー、ドリーは子供の頃から音楽の中で育った。1938年、16歳の時にはエラやサラがそうであったように、かの有名なアポロ劇場でのアマチュア・コンテストの優勝者なのである。
 

またたく間にドリーはArt Tatum, Charlie Parker, Billie Holidayらと並び称されるミュージシャンと言われるようになった。当時はThelma Bakerという本名でニューヨークで有名な歌手となっていたのである。

今ではドリーの歌を聴けば誰もが「ドリーはジャズシンガー」と言うのだが、唄い始めた頃は、ドリーが唄った歌は当時の流行歌(popular song)であり、自分自身も流行歌手(pop singer)と思っていたのである。

1961年にドリーの人生の転機が訪れた。ポルトガル人の事業家Botelho氏との、ドリーにとって2度目の結婚である。そして、夫のビジネスの場であった東京に移り住むことになった。ドリーのキャリアーはこの時すでに終わっていたのである。

しかし、日本は「ジャズのHotbed」であることにドリーは驚いた。ジャズを聴きに来る人たちのジャズの知識、ジャズへの情熱はアメリカ人のそれを凌ぐものであったと言う。彼らが平気でオリジナルの英語の歌を聴くのを知り「言葉の壁」は存在しないと感じたと言う。

「ここで、もう一度唄おう」と、ドリーは東京の地で再びライブを始めることを決心した。ドリー自身、自分に対する「需要」があることを認識したのである。

その後、30年以上にわたって東京だけでなく日本各地でライブを行い、数え切れないジャズファンの心を揺さぶったことは、多くの人たちの知るところである。

さて、”Thelma”という名前は日本人にとって発音が難しい。ある晩、ThelmaはHello Dollyを唄っていた。ルイ・アームストロングの大ヒットである。Thelmaはルイの物まねも上手だった。

  「そうだ!Dollyをステージ・ネームにしよう」

そして、Dolly Bakerと名乗るようになり、Hello Dollyは、ドリーのテーマソングとなったのである。

ドリーが歌手としての存在だけでなく、もうひとつ付け加えておかなければならないのは、来日する有名なジャズミュージシャンたちの世話をし、日本のジャズ界だけでなく大使館などを含む外交的な橋渡し役を務めてきたことである。実際、「ドリーに話を通してもらえばうまく行く」と、アメリカにいた時代には会ったこともなかったサラ・ボーン、メル・トーメ、デューク・エリントンらの面倒を見ることになったのである。

1977年に夫は他界した。しかし、ドリーは東京赤坂の古いマンションに住み、アメリカに帰ることはなかった。それまでは、ニューヨークに戻ることはなかったが、その後は年に一度、2,3ヶ月は子供たちにも会いにニューヨークに里帰りをするようになった。

そのドリーも2001年5月にアメリカに帰ることになった。そこで2月にドリーの誕生日祝いとサヨナラパーティを六本木のCozy-Lで大勢のミュージシャンやドリーファンを集めて開催した。淋しいことだが仕方がない。10月はじめには再度東京に戻ってきた。翌年の1月半ばまで滞在したが、その間に、2001年度「日本ジャズボーカル大賞」の受賞が決定した。外国人としては初めての受賞である。本賞は1985年に中本マリが受賞したのが最初である。

ドリーはまだまだ唄える。まわりが放っては置かない。特に、ボストンで一番といわれるJazz Club "SCULLERS"でのライブにはすこぶる喜んでいる様子である。

    


The Oz Sons

オージーサンズが沢田靖司ジャズボーカル教室の発表会に飛び入りでI'll Never Smile Againを唄ってお客さんや出演者をびっくりさせようと謀をめぐらしたことがある。まだ、オージーサンズの名前もついていない頃の話である。

バックステージにいたドリーが袖まで飛び出してきた。はじめてオージーサンズのコーラスを聴いたのである。

おばあちゃんは興奮気味に「トミー・ドーシーのあれ、あれ!」とわめいている。「パイド・パイパーズでしょ」と言うと「それ、それ。私がジョー・スタッフォードをやるから、パイド・パイパーズをやろう」

結局、パイド・パイパーズはやらなかったが、ある時ドリーのライブで、わんわん物語のLa La Luを一緒に唄ったことがよい思い出となっている。Yes, we do love Dolly!

 
ドリーが帰ってきました 2006.2.5

沢田靖司のコンサートのためにドリーは日本に帰ってきました。コンサートの2日後、マヌエラで84歳の誕生会を開きました。50人を超すミュージシャンやゆかりの人達で溢れかえりました。

もう会えないと思っていたのです。それが元気で再会できました。"Hello Dolly!"しか唄う歌はありません。1月に急いでアレンジをしてこの日のために練習して唄ったのですが、ドリーはすごく喜んでくれました。

「一緒にボストンに帰ろう!」

嬉しい事を言ってくれるじゃありませんか。1,2度しか練習できていませんのでへたくそですが、気持ちだけは通じます。

Hello Dolly! by OZ SONS

 
残念ながら、妹のボビーがもう唄えなくなって2人でやっていたボストンでのライブはもう止めたそうです。

ニュース 2007/12

最近見つけたドリー・ベーカーのビデオです。司会をドラムの猪俣さんがやっています。すごく若く見えます。五十嵐明要さんのウェブ管理人の方が投稿したものです。

http://www.dailymotion.com/video/x19t7z_hello-dollywhat-a-wonderfuldolly-ba_music


ニュース 2008/3

我が家にも沢田靖司の2006年のコンサートのビデオがありました。これから、何曲か切り出してドリー・ベーカーと沢田靖司のビデオクリップをYou Tubeにアップロードしました。

Dolly Baker : 'Swonderful

Yasushi Sawada : Take The 'A' Train

Dolyy Baker & Yasushi Sawada : I'll Be Seeing You/ I Left My Heart In San Francisco

Dolly Baker & Yasushi Sawada : Bill Bailey, Won't You Please Come Home/ Around The World


 

訃 報

Dollyが2014年4月23日に亡くなりました。