FRIENDS OF OZSONS

 

CRAIG THOMPSON

彼を知らない人が多いと思います。ジャズ歌手として年季も浅く、歌手の仕事を始めるようになって3年目です。テキサス・ダラスの西部の男です。

この写真は2001年12月に来日したとき、早稲田のハイソと慶応のライトの合同OBバンド"Hi-Light All Stars"のABCホールでのコンサートにゲストとして出演したときのものです。Hi-Light All Starsの村上さんが撮影したものです。

かれはビッグバンドをバックにシナトラやボビー・ダーリンらのスタイルをそのまま唄うエンタテナー歌手です。その一方では、B.B. Kingのブルースも黒っぽくなかなかの実力者です。

とにかく経歴が変わっているのです。

数年前に海兵隊員として三沢基地にやってきました。3年半ほど日本にいたのですが、日本の国技、相撲を始めたのです。高見山の部屋の沢登がコーチとして彼を指導しました。相撲取りと同じ生活をさせたのです。その結果、Craigの体重は何と400ポンドになりました。ジャイアント馬場が320ポンドです。アントニオ猪木は250ポンドです。どれだけ大きかったか想像がつくと思います。
アマチュア相撲の世界大会が毎年、両国の国技館で行われます。彼はアメリカ代表の一人として出場し、入賞を果たしているのです。
その青い眼のお相撲さんが引退し、ダラスに帰り1年間で200ポンドの体重を落としました。脳みそと胃袋が「飯を食え」と命令するのだそうです。ついに、胃袋を縦に縫って細くし、食べ物が入らないようにする手術を受けたのです。

その1年の間にビッグ・バンド歌手になろうと、まず、自分のバンドのメンバー集めを始めました。ダラスに本拠を置くバンドですが"BIG-T & The Bada-Bings"といいます。

なぜ知り合ったかがまた面白いのです。毎度、話に出てくる親サイトである「ジャズにまつわる話」を見て、ゲストブックに「わたしはアメリカのジャズ歌手です」と記帳をしたのです。それからが大変です。毎夜のようにメール交換がはじまりました。彼のサイトはhttp://www.bigt-music.com/ からご覧ください。
メールだけでなく電話も度々かかってきます。あるときは太平洋を挟んでリアルタイムでハモッたりするのです。12月の初旬に東京にやってきました。早速、Big-Tと彼の東京バンドのリーダー杉山氏をLittle MANUELAに招待して仲間で歓迎会を開きました。喜びました。また、2002年4月に来日が予定されています。 彼のリクエストでシナトラとサミーのデュエット"Me And My Shadow"を若山がサミー役をやり2人で唄いました。「今度はステージで」と言っています。
37歳と若いのですが、相撲で身体だけでなく精神も鍛えられたからでしょうか、日本人より礼節を知った素晴らしいアメリカ人です。
どこかで"BIG-T Craig Thompson"の名前を見かけたら、是非、応援をしてください。裏切られることはありません。ラスベガスやニューヨークのサウンドを彷彿とさせる時間を過ごすことになります。
さらに面白いことに、日本に来る前は人前で歌を唄ったことがなかったのです。「カラオケ」でBobby Darin"Mack The Kife"を唄ったのが初めてのことだったのです。
BIG-Tの昼間の本職はITに関わる仕事で、彼はコンピュータ・ソフトのエンジニアなのです。とにかく、ユニークでエキサイティングな歌手です。