ジャズとコーラス

(26) 日本初の本格的ジャズコーラス 中野忠晴 Dinah

Tadaharu Nakano
(1909-1970)
昭和の一桁時代に日本でジャズコーラスを始めた人がいます。中野忠晴という歌手です。「山の人気者」「小さな喫茶店」という大ヒットを飛ばしました。戦後には作曲家として名高い方です。

若原一郎の「おーい、中村君」とか、三橋美智也の「達者でな」などはどなたも口ずさんだことがある歌ではないかと思います。というわけで、中野さんは歌謡曲の作曲家となりました。

その中野忠晴が、戦前に「中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズ」を編成し、”ダイナ”や”タイガー・ラッグ”をコーラス指導をして唄っています。これらは1931年のミルス・ブラザースのコーラスを聴いて、レコーディングしたものです。

中野忠晴は武蔵野音楽学校の出身ですが、山田耕筰にスカウトされてコロムビアに入社したのだそうです。


中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズ

ダイナのレコーディングは昭和9年(1934)です。オドロキです。ビング・クロスビーとミルス・ブラザースがレコーディングして3年後のことです。こんな時代にミルスを聴いていたのです。ボズウェル・シスターズを真似て、コロムビア・リズム・シスターズも作っています。ますます、オドロキです。

ちなみにディック・ミネがダイナを唄ったのも同じ昭和9年です。ダイナの日本語歌詞は何通りもあります。エノケンのダイナもあります。

中野忠彦さんは中野忠晴の息子さんですが、そんなこと露知らずにお会いしたことがあります。音楽のプロデュースをされています。ジャズ評論家の瀬川昌久さんから紹介されました。

そのまた息子さんは、マサハル君といって、新進のジャズ歌手です。とは言っても桁外れな歌を唄います。師匠の沢田靖司と4バースのスキャット合戦をやるのですから、相当なものです。

近藤博之「中野忠晴の功績とその評価―主に戦前期から―」という2004年度の名古屋大学文学部日本史学研究室の卒業論文があります。著者は爵士樂堂のサイトで戦後の日本のジャズコーラスは小島正雄が流行らしたというページを読んで、自分は戦前に日本のジャズコーラスを始めた中野忠晴の研究をしているというメールを書いて来ました。

何度もメールのやり取りをしました。中野忠彦さんを紹介をしようかと言ったら、既にお会いしていろいろな資料をいただいているということでした。その必要はなかったのです。

二十歳代の若者が、こんなオールドファッションのテーマで卒業研究をしているとは驚きでした。上のサイトは卒論が終ってホームページにして誰でも見られるようにしたと、近藤君が知らせてくれました。

中野マサハルのサイトがオープンしました。

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実は大正末期に活動していた法政大学のラッカンサン・ジャズバンドのレコーディングは、昭和3年、4年にされています。その中で作間 毅(dr, vo, arrange)とコーラスを聞かせるのは、慈恵医大の赤羽武夫です。こちらは学生バンドでプロではありませんが、レコードも残っています。日本初のJazz Chorusは作間のレコードではないでしょうか。⇒ 大正末期に学生ジャズバンド (2015/11/14) 


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