ジャズと歴史にまつわる話
History of Jazz

村上一徳ファミリー

犬丸一郎さんが学生時代、浜口庫之助、平岡精二らとスイング・サーフライダースを結成して、ベースを弾いていた。という話を、前ページで書いた。

戦前、戦中にスチール・ギターの名手で、カルア・カマアイナスで活躍した村上一徳が、戦後、スイング・サーフライダースを立ち上げたという。犬丸さんのページ書きをしていて、村上一徳(1913−1963)の名前が浮かび上がった。


カルアカマアイナス 1943

 
スウィング・サーフライダース(一番右に浜庫さん)


村上一徳ファミリー
長男洋一君(1942- )、昭子夫人、一徳氏、長女京子さん(1944- )


桂くん生まれる 1979

長女の京子さんはピアノの小林 洋(1954- )と結婚、息子の桂くんは10代にして有名人になりました。

 
小林 洋 ・ 桂

90年代の初めに京子さんはコーラスグループ「シャイニー・ストッキングス」を結成します。


村上京子とシャイニー・ストッキングス+桂くん 2009

90年代、シャイニー・ストッキングスのライブを何度か聴きました。忘れてしまいそうです。確かドミナントでも歌ったような記憶があります。

小林 洋のライブも80年代から90年代にかけてあちらこちらで出ていました。今はない六本木のRelaxin’で、よく出会ったものです。杉原 淳の通夜で久し振りにバッタリ会い、焼香の列に並びながら長話になったりしました。

村上一徳から小林 桂まで3世代に亘るミュージシャン一家の話になりました。



立花 保子
私は村上先生の晩年の頃の生徒です。サーフライダーズ時代母とお仲間だった様で、母の薦めで中学生の時に銀座十字屋にあった村上先生のハワイアン教室で、ウクレレからギターを教えて頂きました。
当時練馬にあったご自宅にもたびたびお伺いしたし、その頃ベースを弾いていたお嬢様の京子さんと、どこぞのお店で演奏した憶えもあります。とても懐かしい思い出ですね〜!

立花さんのお母さんは立花弘子さん、有名な声楽家で教育者です。

 立花弘子のページ

 (2023/02/25)

■    


Index
Previous
Next