ジャズとコーラス

(50)FOUR FRESHMEN 来日

2014/11


Satin Doll 2014/11/8

2000年代はもんプロの西蔭さんがプロモーターでした。その頃は毎年招んでくれましたが、2006年にはすべてのスケジュールがキャンセルになったことがありました。その西蔭さんも2009年に亡くなりました。

その後、All Art Promotionの石塚さんが招聘元になりましたが、富士通コンコード・ジャズの一駒に使うだけでわれわれのような人種には面白からず。それも2010年が最後でした。

4年ぶりに来ることになりました。慶應のザ・カルアの60周年記念パーティにゲストで呼んだのです。勿体ないので一晩だけSatin Dollでのライブがおまけでありました。ここにはFour Freshmen Societyというファンクラブの昔からの生き残りメンバーが同窓会のように集まりました。

私の席は市浦さんが決めたのでしょう、一番真ん前の席、写真を撮るにも上の写真のようにマイクレスで4人がかたまらないと近すぎるので画面に入りません。しょうがないのでばらばらに撮って一枚にしたのがこれ。

Steinは初来日

市浦さんの撮影です。真正面の一番前が私の席。今回の来日に用意された歌は、下記の通り。ボブ・フェレイラのメモをもらってきました。


Rehearsing (羽鳥裕一提供)

翌日がカルアのパーティ、これはリハーサル風景です。

第一部はカルア60年の歴史を綴る8つのバンドが登場しました。第一部が終わったのが1時間押して9時でした。バンドの交代に無駄な時間がかかりました。そんなことは初めからわかっていること。舞台監督は誰だったのか知りませんが、Blue Noteという店も商売のくせに能無しだ。アナウンスだけは一人前「写真・動画は禁止です」だって。

その店に出掛ける我輩も相当なアホだ。

第二部は4フレッシュメンのステージです。大サービスでたくさん歌いましたよ。彼らは代々の教育が出来ているのだ。Blue Note Tokyoで歌うのは20年ぶりのはず。

ある時期から、昔からの有名歌手や有名グループを出さないで、比較的あたらしいものを応援するというポリシーに変わったのだと聞かされた。フレッシュメンは2000年代にも何度も来日したが、94年を最後に、Blue Note Tokyoでは一度も出演していない。

Salena Jonesが1999年に東京・大阪・福岡のBlue Noteで歌おうと思って来日したところ、ブルーノート東京で断られたときの理由がそういう内容だった。大阪・福岡は文句なく大歓迎だったのです。それで、東京で1週間空いてしまいました。

SalenaのマネージャーのTonyが私に「新大久保にあったさる店でBookできるが、Salenaに相応しいか?」と聞くので「相応しくない」と止めさせ、ある知り合いのプロモーターに頼んで、4箇所でライブをやれるように手配したことがあった。他の日はOffですから、遊びに連れて歩きました。マヌエラ、INDIGOそれに焼肉や。おーそうそう、フレッシュメンを串揚げを食べに連れて行ったのを思い出した。

1時間も遅れて、終わるや否や、早々に帰った湯河原の後輩がいました。東京に泊まらなくてはならなくなります。


Group #22

これは12年前、2002年に来たとき、みんなよく食べました。一番奥にブライアンがいるが、奥は喫煙席、ブライアンと山鹿赤帽やがタバコ吸い。この店はもうありません。(2014/11/9)

 

FOUR FRESHEMENについて



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