ジャズと小噺

(26) シナトラとボビーソクサー

1971年引退声明

この「ライフ」の表紙を覚えている人がいると思います。1971年にシナトラが突然引退声明を出した時の写真です。もう、40年前のことだったのです。

シナトラがスター街道を歩き出すのは、1939年にハリー・ジェイムス楽団の専属歌手となってからのことです。その前のことは ⇒ こちら

翌年、名声を誇っていたトミー・ドーシー楽団に引き抜かれて専属歌手となったとどこにも書かれています。が、本当のところは自分からオーディションを受けに行ったのが真相だそうです。
 

やがて太平洋戦争が勃発するのですが、アメリカの人はこの稀に出現した男性歌手をアイドルにしてしまいました。当時のボビーソクサー(Bobbysoxer)に追いかけられたのです。当時の映画など見ている方はご存知かもしれませんが、女学生のはく白い足首までのソックスをBobby Socksといいます。

日本でアイドル歌手というと「可愛い女の子」が思い浮かびますが、アメリカではシナトラが「アイドル」と呼ばれたのです。実はシナトラは耳が悪かったので兵役には行っていません。軍の慰問を含めて芸能活動を続けていたのです。


Bobby Socks

これはシナトラが亡くなって3ヶ月後に湯河原で開催されたジャズ・フェスティバルの帰りの車の中でドリー・ベーカーから直接聞いた話です。 1943年(昭和18年)、ニューヨークのコパカバーナにシナトラが出演していました。バーのカウンターの向こうにシナトラが誰ともしゃべらず一人でお酒を飲んでいたそうです。20歳そこそこのドリーには近寄りがたく、顔見知りのバーテンにそっと飲み物を注文しました。

「あれと同じのを」 するとフランクが 「彼女にはKid's Drinkをあげとくれ」

ドリーはボビーソクサーだと思われたのでしょうか。

  ◆ 

多くのシナトラファンはハリー・ジェームス楽団以前のことはご存じないかも。Hoboken Fourというコーラス・グループに居たのですよ。⇒ Hoboken Four


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