歌にまつわる話

Mr. Bojangles 誕生の真相

2005年3月9日、爵士樂堂が知らなかったこの歌の誕生にまつわる話を教えてくれた方がおります。面倒なことを厭わずにメールをいただいたのです。ありがたいことでした。

「この歌のMr. Bojanglesは、Bill Robinsonではなく別人」というご指摘です。

この稿のタイトルがそう思わせてしまったのです。紛らわしいタイトルですが、このまま使わせていただきます。

メールの主は三島さんという男性です。Bill RobinsonはBojanglesという愛称で呼ばれ、実在する人物であることは事実なのですが、爵士樂堂の記述の仕方がいかにもMr. Bojanglesという歌はBill Robinsonのことを唄った歌のように読まれてしまうというご指摘です。


突然のメールで失礼します。

ミスター・ボージャングルに対する記事、興味深いのですが残念ながら間違いのようなので指摘させていただきます。

1942年にニューヨーク郊外で生まれたジェリー・ジェフ・ウォーカーはハイスクールを卒業後、放浪のフォークシンガーとして各地を転々と回る生活を始め、フォークロックバンド「サーカスマキシムス」を結成。しかし、バンドはあまり面白くなかったようで、ギタリストのデビッド・ブロムバーグと組んでソロ活動を始めました。

ニューオーリンズを旅していた時、酔っ払ってブタ箱にほうり込まれたジェリー・ジェフは、監獄の中で一人の年老いたボードビリアンと知り合います。
ボージャングルと名乗るその老人の話を聞いて作られたのが名曲「ミスター・ボージャングル」です。

歌詞翻訳(略)

ミスター・ボージャングルとはサミー・デービス・ジュニアのタップダンスの師であったビル・ボージャングル・ロビンソンであるとよく言われていますが、ジェリージェフ自身が語るように全くの別人です。サミー・デービス・ジュニアがこの曲をカバーしているために生じた誤解です。この歌のボージャングルは無名の芸人だったようです。
この曲はカバーが非常に多くて、フォーク・ロックからジャズにいたるまでどれだけの人が歌っているのか不明です。
僕が持っているだけでも、デビッド・ブロムバーグ、NGDB、ボブ・ディラン、ニルソン、サミー・デービス・ジュニア、中川五郎などがあります。

なお文章に関してはジェリー・ジェフ・ウォーカーの1977年のアルバム「果てしなき旅路/A Man Must Carry On'」を参考にしました。
このアルバムに収めれれている「ミスター・ボージャングル」はニューオーリンズでのライブ録音で、ジェリー・ジェフは歌う前に「この歌はここからほんの2ブロックほどの所にあるファースト・プレジデント監獄で出来上がったものです」と語っています。



Jerry Jeff Walker(1942-2020)

上は私のところにあるJerry Jeffの「Mr. Bojangles」というアルバムのライナーノーツです。ちゃんと見ると三島さんの説明がそのまま書いてありました。

しかし、WalkerはBill Robinsonのことには触れていません。おそらくは1920年代のシカゴで名を馳せたボージャングルのことは知らなかったと思います。彼が出会ったボージャングルは、老人でBill Robinsonのことを知る踊り好きの爺さんだったのでしょう。それで自分のことをボージャングルと名乗ったのです。

ところで、サミーはボージャングルを唄う時に「ビル・ロビンソンのことを思い出す」と父親、サミー・デイビスSr.との対談の中で語っています。おそらくは、このことから端を発して、サミーの唄うボージャングルとはビル・ロビンソンという等式が出来上がってしまったのではないかと思います。

ビル・ロビンソンのボージャングルは南部をどさ回りするミンストレルショーにいたわけでも、落ちぶれて酒代稼ぎに踊ったわけでもなく、ましてや豚箱に泊められたこともなく、あの名子役、シャーリー・テンプルの相手役を演じた映画もありましたし、死ぬまで有名人だったわけです。

サミーは歌の中のボージャングルとビル・ロビンソンを2重写しのようにして唄っていたのでしょう。

Jerry Jeff Walkerは爵士樂堂より1年若く昭和17年ですので、ビル・ロビンソンのことを直接知っている世代ではないと思います。それが、ボージャングルのことを歌に書くというのは、とても不思議なことだと思いながら永い月日が経ってしまいました。

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(2005/3/9)


⇒ Jerry Jeff Walker死去

(2020/10/28)