ジャズと雑学

(11) スキーはジャズに似たり・・・テンポとリズム
スキーもゴルフと同じく一番大切なのはリズム感であります。あるときはスローテンポで、また或るときは倍テンポで軽ろやかに滑るのです。左右の回転のバランスが悪い人は、このリズムが作り出せません。そのためには左右の得意・不得意が無くならないとなりません。 

at Zao, 1982

ところが、競技スキーでは、難しいリズムを要求するポール・セッティングがなされるのです。名スキーヤーはいとも滑らかにこれをこなすのです。自分のリズムでしか滑れない下手が真似すると大概はコースアウトということになります。

テンポとリズムという言葉が出てきました。テンポはビート間の「ま」のことをいいます。通常、クラシックでは"allegro"とか"moderato"とか言うのがテンポと曲相を表しています。リズム感というのは、決められたテンポの中をどう縫って滑っていくかということで本質的に違ったことを意味しているのです。


よく音楽に合わせて足の爪先で「コツ、コツ」と刻みますね。あれはテンポに合わせてやっているのです。それとは違って身体がゆれてくる感覚、あれがリズム感なのです。黒人の子供の踊りは身体、それもDNAが刻ませるリズムの動きなのです。

身体の中から湧き出てくるリズム感が先にないと、スイングなど出来るわけがありません。直立不動ではリオのサンバのリズムなんて出るわけがありません。あのセクシーな腰の動きですよね。直立不動といえば、東海林太郎がサンバやボサノバのリズムで歌を唄ったとしたらどうなるんでしょう。

リズムは人間のもつ原始的な根源、あるいは生物の生存そのものに関わるものなのです。よく心臓の動きにたとえることがあります。脈拍とはテンポです。しかし、心電図を見ればわかるとおり、心臓は一連の波動を繰り返します。これはリズムなのです。

しかし、腰を振るというような人間の自然なリズムを国によっては表には出さず、恥ずかしいものと決め込んだ文化が造られてしまった所もあります。我が国では鎌倉・室町時代以降、特に江戸時代の武家社会の時代にそうなったのではないでしょうか。つまり建前が先で、本音は裏に隠されたのです。しかし、江戸の町民文化は人間的であったといえますが、アンダーグラウンドでしかありませんでした。

近代では軍部そして戦後は官僚と企業社会がこの武家思想を受け継いだものと思います。平安朝時代の貴族社会では自由奔放でしたものね。新人類などという言葉も生まれましたが、現代日本人は昔とは少しずつ変わってきているようです。文化人類学や比較文化論を勉強したら、きっと面白いことが見えてくると思うのですが。

また、スキーを滑る上で雪や斜面の状態の変化に自然に対応することは難しいことです。基本技術と深い経験が必要なのです。歌と伴奏とが一体となるには、やはり基本技術と深い経験が必要なのです。

わたし自身、以前は伴奏者がかわると唄えなくなったことがしばしばありました。テンポやリズムが結構変わりますし、伴奏のフレーズも変わるからです。しかし、これがだんだん面白くなってきました。ものごと続けてさえいれば人間、年をとっても少しは進歩します。

スキーの好きな人はこちらへどうぞ。爵士樂堂主人のスキーの師匠です。(1998/10)


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