FRIENDS OF OZSONS

数年前から西麻布INDIGOで、オージーサンズのバックコーラス付きで、La, La, Luを唄っては嬉しそうな顔をしてくれた峰さんが、2004年6月17日に肺がんで亡くなりました。ついこの間、5月30日、神楽坂もりのいえで一緒に唄ったLa, La, Luが、この世での最後となりました。

帰り際に、峰さんはOZSONSの一人々々と念入りともいえる別れをしました。抱いた肩のあまりにもやせ細った感触が忘れられません。6月5日の中野ゼロホールでの笈田さんの追悼コンサートが最後となりました。

6月第2週には六本木Jazz Cruijingで出演予定だったのですが、直前に入院しキャンセルとなりました。それにしても、余りに早かったのでわれわれは呆然としているだけです。日本ボーカル大賞にも輝いたベテラン歌手とはいえ、これからますます円熟した歌を聞かせてくれる年代に入ろうとしている58歳でした。寂しくなりました。 合掌(2004/6/18)


Junko Mine, 2003.12

峰 純子

「クルーナー」と呼ばれる歌手がいます。峰さんもその一人です。ある駆け出しの歌手に「クルーナー唱法って何です」と聞かれました。

音楽事典に「クルーニング唱法」は1920年代からポピュラー音楽で始まった唱法とあります。つまり、マイクロホンが出来て、ささやくような声で唄っても聞こえるようになったのです。拡声器というものを歌で使うようになったのです。先駆者として"Whispering"ことJack Smithや"Little"ことJack Littleらがおりますが、ビング・クロスビーも"crooner"と呼ばれたのです。この話を峰 純子に話したら、

「そう、クルーナーはどこにも声を当てないように発声するの」

だと言いました。これは音楽的に極めて的確な表現だと思いました。事典にも書いてありません。彼女はさすがにベテラン歌手なのです。技術と知識の両方を持ちあわせたジャズ歌手なのです。

"Love Me Tender"はエルビス・プレスリーが1956年にヒットさせた美しいラブソングですが、原曲は"Aura Lee"というフォークソングです。

さて、ラブミー・テンダーを峰 純子が1980年代に唄っていたのですが、彼女と仲良しのカーメン・マックレーが彼女に会いに、ライブをやっていた六本木のバードランドに来ました。そこでこれを聴いたのです。カーメンはこれまでラブミー・テンダーを知らなかったのです。

「ラブミー・テンダーの歌詞を書いてくれ」といわれ、別れる時に渡したところ、アメリカに帰るや、あっという間にレコーディングしてしまいました。峰さんがレコーデングする前に。

ラブミー・テンダーとカーメンと峰さんとはチョット結びつかないエピソードです。面白い話でした。

峰 純子は1999年度の栄えあるジャズ・ボーカル大賞に輝きました。年が明けるとその表彰式が待っています。

「もらえてよかった」といって素直に喜んでいます。

写真は、その直前の12月12日に中野坂上、ハーモニー・ホールで開かれた彼女のディナー・ショーのスナップです。当日のバックは遠山晃司トリオ+中村誠一(ts)でした。

 

このビデオは、1999年12月12日のものです。峰さんほど声を張り上げず、静かに歌ってこれほど説得力がある歌手は少ないです。