ジャズと雑学

(53) 横濱ニューオペラ顔見世興行

一番年の若い従兄弟が「席を取っておくから」と言ってこのフライヤーを置いて行った。前の週の6月1日のことだった。

このオペラの芸術監督だという。ふん、アートディレクターね。

私の教え子にはオペラ歌手がいる。高校生の息子が「普通部の同窓会に出ると言っているが、先生は参加されますか?」という電話があったところだった。

「おやすも行かないか?」と言ったら喜んで出てくるというわけで、みなとみらいの改札口で待ち合わせて、みなとみらいホールに行った。

どうだったかって?

敢えて言いますとねェ・・・みんな同じに聞こえてしまう。

「上手いか、それ程はウマかないか」
「声がよく出るか、それ程じゃないか」

が違いと言えばよい。歌手の気持ちや歌い方の違い個性が見えてこない。


おやすからお礼のメールが来た。 そのやりとりが面白かった。

昨夜は楽しい時間をご一緒することができて幸せでした。
お食事もありがとうございました。

芸術監督 甚目氏の世界が繰り広げられていましたね。


彼らの音楽は自分の声をどこまで楽器に出来るか、その極限を求めて演じている。

個性というものを否定しているのかなぁ?
皆同じものを目指している。
したがってHardwareで優劣が決まる。

嘘とは言えないだろ?


確かに、先生のおっしゃる通りかもしれません。

私のうたの恩師は一見誰が歌っているかわからない感じが究極の歌唱と言っていました。
個性を消す=歌唱の極限の様なことを言っていました。
個性は肉体なのかもしれません。
歌い方に個性が出てはだめといっていました。

クラシックの声楽の場合、理想の歌い方は個性を消すことなのかも。
追求するものにとってはそれに近づくことは悦楽なのですが・・・。
ジャズとはだいぶ価値観が違ってしまいますね。


そう言うものか。なるほどだ。
そう言う意味では、コンダクターには個性や主張が見られる。
トスカニーニとカラヤンは全く違う指揮をした。

声楽には共通の価値観があるということがよく分かる。


先生のおっしゃる通りです。

今、ボイトレで生徒さんを教えていても歌い方にあまり迷いがないのです。
不思議なんですが・・・。

やっぱり共通の価値観がわかるような気がするのです。

てなわけで、分からない人にはチンプンカンプンでしょ?クラシックの声楽家ってみんな同じことを目指しているものだと言う結論です。極言すれば彼らは人間ではなく演奏マシンなのです。(2016/6/10)


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