ジャズと歴史にまつわる話

スイング・ミュージック 
 
English version
Benny Goodman
(1909-1986)
ニューオリンズからシカゴに居を移し、さらにニューヨーク、カンザス・シティあるいは西海岸へと広まっていったジャズは1920年代に劇場や放送やレコード吹き込みのために演奏されるようになり、いつ演奏しても同じ演奏が同じ時間でできるように、編曲されたジャズが必要になりました。これが次第にスイング・ミュージックと呼ばれるようになりました。

"Jazz"は淫らな言葉を語源としているので大劇場や公共の電波に乗せるには具合が悪かったのでしょう。

「厠」がやがて「香家」「はばかり」「ご不浄」「便所」「お手洗い」などと変遷した糞尿排泄場所「便所」も、字をみるだけで臭そうですから「おトイレ」なんていうようになるわけです。匂いが移るとまた新語が登場するのでしょう。30年ほど前、子供にも性教育をなんていったときに「オチンチン」は可愛らしくていいが、女性のほうの呼び名がどうも恥ずかしくて口に出せない。そこで「われめちゃん」なんぞという奇妙なる言葉が考案されるわけです。これだって恥かしいです。

スイングを始めたのはベニー・グッドマン自身ではなく、ルイ・アームストロングがフレッチャー・ヘンダーソン楽団に合流した1924年だったといわれています。ベニー グッドマンの1935年以降、ジャズはスイング・ミュージックと暫くは呼ばれました。善良なる人々向きの言葉なのです。

ジャズとスイング・ミュージックとは同義語と思ってよろしゅうございます。


Glenn Miller
(1904-1944)
スイング時代は1944年グレン・ミラーが飛行機事故で死亡し、やがて2年後には終焉を迎えることになりました。映画「グレンミラー物語」をご覧になった方はよくご承知でしょう。実際のところは戦争により社会が疲弊しビッグ・バンドの経営が難しくなってきたのです。

日本でも昭和20年後半からのダンス・ホール、昭和40年代から50年代にかけてのテレビのヒットパレード番組の全盛のころには、たくさんのビッグ・バンドが活躍しましたが、現在では大勢のミュージシャンを食べさせていくことは困難なのです。常時ミュージシャンを雇って置けませんから、仕事が出来るとあちらこちらに声を掛けて、おなじ衣装を着せてその時々にバンドを編成するのです。バンド・リーダーは後生大事に楽譜だけもって商売するのです。

ジャズ・バンドも苦しいのですが、クラシックの楽団や演奏家も苦しいのです。ギャラも安いのです。みんな素人に教えては食べていきます。演奏だけでお金が儲かる人は一握りしかいません。

グレン・ミラー物語は1953年の映画ですが、私が見たのはその年だったのか、何年のことだったのか定かではありません。グレン・ミラーにはジェイムス・スチュアートが演じました。誰もが好きだったジューン・アリスンがグレン・ミラーの奥さん役でした。(1998/10)

そのジューン・アリスンは2006年7月8日に88歳で亡くなりました。長生きしていたのです。(2006/8)


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