歌と歌手にまつわる話

(93) ナンシー梅木亡くなる SAYONARA

2007年9月6日の夕刊にナンシー梅木がミズーリのLicking Park Manor nursing homeで8月28日に亡くなっていたという報道がありました。78歳でした。1週間もかかって訃報が出たのです。 合掌

戦後日本で生まれたジャズ歌手といえばナンシー梅木を思い出す人が多いと思います。戦後、復員してきたミュージシャンたちが結成したのがブルーコーツと言うわけですが、ナンシー梅木は専属歌手として唄っていた時代があります。


Red Buttons and Nancy Umeki(1929-2007)

少し遅れて江利チエミが登場してきます。昭和20年代に、この二人は一番ジャズっぽく唄った歌手だったと思います。

1955年にアメリカに渡り、翌年、アーサー・ゴドフリー・ショーに出演し、和服で英語の歌を唄って話題になりました。1957年の朝鮮戦争当時のアメリカ兵と日本人女性の恋を描いた「SAYONARA」という映画がヒットしました。舞台は関西です。この映画でナンシー梅木(Miyoshi Umeki)はアカデミー助演女優賞を獲得します。

夫婦役のRed Buttonsも助演男優賞を獲得しました。

「戦場にかける橋」で早川雪洲が助演男優賞でノミネートされましたが、獲得には至りませんでした。最近では、渡辺 謙のノミネートは37年ぶりの快挙と騒がれましたが、俳優賞でアカデミー賞を獲得したのはナンシー梅木が唯一の東洋人となっています。

映画「SAYONARA」の主演はマーロン・ブランドです。もう一人の日本人出演者に、高美以子というシアトル生まれの女優がいました。彼女はこの映画でタイトルと同名の歌"SAYONARA"を唄っています。かのアーヴィン・バーリンが詞も曲も書いています。私が高校生の頃ですが、この歌をコーラスに仕立てて唄っていました。映画は後々になって知ったのですが、この歌はソングブックで早々と見つけて洒落た歌だと思って唄っていました。この頃はアーヴィン・バーリンなんて知らないガキの頃です。でも、こんな歌を口ずさんでいたなんて変なガキでしょ?

Sayonara Japanese goodbye Whisper sayonara
But you mustn't cry
No more we stop to see pretty cherry blossoms
No more we neath the tree looking at the sky
Sayonara sayonara goodbye

Sayonara if it must be so Whisper sayonara
Smiling as we go
No more we stop to see pretty cherry blossoms
No more we neath the tree looking at the sky
Sayonara sayonara goodbye


Marlon Brando
and Miiko Taka

ナンシー梅木はアメリカに渡ってから、70年代になって引退して以降の消息は日本では殆んど知られていません。2度結婚していますが、離婚そして死別と結婚運が悪かったのです。一時はハワイに住んでいたということですが、5年ほど前から子供や孫とミズーリのLickingという町に住んでいました。

わたしが夕刊を見てナンシー梅木の訃報を知る前、2007年9月6日、午後のテレビで同日早朝に3大テナーのパバロッティが膵臓癌で亡くなったという臨時ニュースがありました。(2007/9/11)


Never forget   


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