主催:アルゼンチンタンゴ早慶戦実行委員会  後援:日本タンゴアカデミー
 
第1回アルゼンチンタンゴ早慶戦

2013年11月1日()

いきいきプラザ一番町・カスケードホール


いきいきプラザ一番町


実行委員長 福川靖彦    両校マネージャー

オルケスタ マネージャー(現役)
タンゴアンサンブル マネージャー(OB)


総合司会 飯塚久夫

KBRタンゴアンサンブル
シニアバンド

1.Charito
2.Loca

3.Caminito (Cancion)

4.Lagrimas y Sonrias

5.Felicia
6.La Cumparsita (Cancion)


Bandmaster Hiroshi Uchida

 

Caminito

オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダ
コンフント(ConJunto:小編成)

1.Lunfardo

2.Milonga del Angel

3.I Kiss Your Hand Madame
4.Maypa

 

KBRタンゴアンサンブル
ジュニアバンド

1.Sentimient Gaucho
2.La Ultima Copa (Cancion)

3.Repetido

4.Danzarin

5.Nostargias (Cancion)
6.Reparense

 

オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダ
オルケスタ

1.A Evaristo Carrigero
2.El Once

3.Morena

4.Melancolico

5.Abran Cancha
6.Sueno de tango
7.Comme il faut
8.La Viruta

 

 

タンゴとの出会い

今夜のアルゼンチンタンゴ早慶戦、オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダとKBRタンゴアンサンブルの皆さん素晴らしいコンサートを有難うございました。

私たちが中学生の頃、昭和20年代の後半から30年代の初めの頃です。ラジオではタンゴの番組が流れていました。藤村有弘が流暢なインチキ・スペイン語で「エキサルタンゴポルテーニヤヴェントダリエンセセンチメンタリーノ」なんて言うわけです。アルゼンチンタンゴやアルフレッド・ハウゼのコンチネンタルタンゴのレコードがかけられていました。当時はこのようなディスク・ジョッキーが流行りました。

この頃にタンゴに魅せられた学友が今でもタンゴバンドのリーダーをやっています。てな文章をどこかで書きました。内田 宏その人です。

さて、1987年に私はブエノスアイレスに国際学会のため出かけました。ブエノスアイレスにはCasa Blancaという有名なライブレストランがありました。この日の出演者は誰だったと思いますか?


Yoshinori Yoneyama with Leopoldo Federico

何とレオポルト・フェデリコ楽団でした。私は生でタンゴを聴いたのは生まれて初めて。ラジオのタンゴは右の耳から入り左の耳から出て行ってしまったのですが、フェデリコ楽団のすばらしい演奏に、私は興奮してお尻が宙に浮いてしまいました。このバンドには日本人と思しきメンバーがレオポルドの隣でバンドネオンを演奏していました。案内してくれた方に尋ねると「日本人で米山義則という人」とのことです。18歳のときに単身アルゼンチンに渡り、バンドネオンをフリオ・アウマーダのもとで修行したという人でした。この時はレオポルドのバンドで活躍していました。日本にも毎年来ていました。渋谷のパルコホールに聴きに行ったことがあります。

米山さんとレオポルドの演奏している写真を見てください。語り合うようにして演奏します。二人の演奏はまさにセッションなんです。

「これでどうだぁ?」

「おー、そうだ、そうだ!いいぞ!」

感動的な光景でした。タンゴは情熱的と一言で言いますが、この演奏はジャズ好きのおじさんの横っ面を張り倒すような衝撃でした。ポロポロ涙がこぼれました。

米山さんは1955年生まれですが、2006年に若くして亡くなりました。私がブエノスアイレスで見に行ったときは弱冠31歳か32歳の頃だったのです。


Congres Nacional, Buenos Aires

それから、90年代の初めに新進タンゴ歌手、ロベルト杉浦に出会いました。芝メルパルクホールでのタンゴコンサートに「間にジャズをはさんで」という主催者のアイディアで、どういうわけか私にお鉢が回ってきました。映画音楽から3曲歌えとのことでコンボであの広いステージでソロで歌いました。20年も前の話です。

ロベルトは名古屋の出身で大谷大学を卒業するかどうかの頃だったと思います。いまでもそうだけど可愛らしくて生意気な坊やでした。「この男はタンゴに命を賭けておるワイ」と思いました。現在は中南米を根城にタンゴとメキシカンボレロを中心にラテンの歌を歌ってテレビにも出演し、あちらの人気者になっています。年に1度は日本ツアーをやっています。今年も11月から12月にかけて帰国します。12月2日に会うことになっています。

彼の紹介ページがあります。 ⇒ ロベルト杉浦

藤村有弘は48歳の若さで1982年に亡くなってしまった。若い人たちは彼の多芸とその面白さを知らない。後にタモリがハナモゲラ語をあやつり、テレビの寵児となったが、それ以前にわれわれ爺は藤村のユニークな芸を見聞きしていたのだ。(2013/11/1・わかやま くにひろ)


また来年

 

このページは新ドメインに移行しました。(2014/4)

⇒ http://kbrtango.com/